但馬へ…。
2005年06月01日
4月21日、まさかと思うようなニュースが飛び込んできた。
『ロック岩崎』。彼が本当に空へ逝ってしまった。
正直今でもどこかで信じられずにいる。このままじゃいけないのはわかっているのに…。
その数日後、主人に相談してみた。
GWに近くのショッピングセンターへ行くことにしていた予定を変更できないかと。
でも、そんな私の提案を聞き入れてくれ、GWに入った最初の土曜にロックさんの最後の地である『但馬空港』へ行くことにしたのである。
私は住んでいるのは岐阜県の北のほう、一応中部圏になる。愛知県に近ければ遊びに出かけるにもかなり楽だと思えるのだけど、ここからだとかなり大変。
周りの知人たちはよく旅行(もちろんちゃんとした宿泊施設を利用しての)に出かけるけれど、我が家ではそういうのは行っても年に一回。しかもなるべくリーズナブルにできるようにかなり努力して(自分で言ってたら世話ない?)。
そのため、少し遠くへ行くときは前の晩から出発して(土曜に出かける予定なら、金曜の夜)朝には現地着!が基本形になっている。航空祭なんかはほとんどこのパターンで行ってるし、そのほかでも混雑を避ける意味もあって早く出てしまっている。
『ロック岩崎』。彼が本当に空へ逝ってしまった。
正直今でもどこかで信じられずにいる。このままじゃいけないのはわかっているのに…。
その数日後、主人に相談してみた。
GWに近くのショッピングセンターへ行くことにしていた予定を変更できないかと。
でも、そんな私の提案を聞き入れてくれ、GWに入った最初の土曜にロックさんの最後の地である『但馬空港』へ行くことにしたのである。
私は住んでいるのは岐阜県の北のほう、一応中部圏になる。愛知県に近ければ遊びに出かけるにもかなり楽だと思えるのだけど、ここからだとかなり大変。
周りの知人たちはよく旅行(もちろんちゃんとした宿泊施設を利用しての)に出かけるけれど、我が家ではそういうのは行っても年に一回。しかもなるべくリーズナブルにできるようにかなり努力して(自分で言ってたら世話ない?)。
そのため、少し遠くへ行くときは前の晩から出発して(土曜に出かける予定なら、金曜の夜)朝には現地着!が基本形になっている。航空祭なんかはほとんどこのパターンで行ってるし、そのほかでも混雑を避ける意味もあって早く出てしまっている。
GW前半に入ろうとしている夜、車に子どもたちを寝かせて行ける様に毛布や着替えを乗せ、お花と一緒に日付が変わらないうちに出発。
さすがに12時前とあって流れはとてもスムーズで、東海北陸道をただひたすら大阪方面へと向かっていく。
途中、SAで休憩しながら(この休憩がまた…食べ物とお土産売り場に体が動いて行ってしまうんだけど)、運転も主人と交代しながら、目がさめると既に京都に!夜が明けるか明けないかの頃には着いていたようで主人も休憩。
その後、目が覚めて復活した私が明るくなりかける頃そのまま中国道を通り、播但連絡道路までがんばった!!
その後、復活した主人と交代して一路豊岡市内へ。
家をでで400キロ強、時間は約11時間(休憩入れて)。
頑張ればこれるじゃん!って、けっこ〜強気なことを言いながらターミナルビルを上り、ロックさんが親しんだ但馬空港を見渡した…。
私は涙が出てきて止まらなかった。
ターミナルビルの中はいつもと変わらず、普通の日常で、それが余計に辛かった。
もっと空港を見渡せる場所へとターミナルビルを出て、周りを探しながら高台へあがる公園を見つけ息を切らしながら子どもたちと登る。
白っぽい石が敷き詰められている、きれいな公園だった。
但馬空港を含む一面の景色が見渡せ、空は抜けるように青く、ピッツが見えてくるような気がしてならない空だった。
子どもたちと、ロックさんの話をし、お礼をいって空港が見渡せる場所に花を手向けた。そこには既に何人かの方が見えているようで、花とともにロックさんへのメッセージが添えてあった。
花は…本来なら白い花にすべきだったのかもしれないが、それじゃあまりにも寂しいような気がしてこの花を選んだ。
この公園へはこのときに初めて見つけて行ったのだけど、ロックさんが好きだった場所だということを後から知りました。
『こっちのほうが見晴らしがいいよ』
って、案内されてたのかも…なんて思ったり。
できるなら、実際に飛んでいるところを見たかった。
さすがにここまでは行けないなぁって思ってたところへこうしてくるなんて、頑張ればここまでこれるんだよって教えられたのかなとか都合のいい事を思いながら、でもこれからはいけるじゃないって前向きに考えて…。
帰る前に、家族で空港へ向かって手を合わせ、
いつまでも忘れない
これからもエアロックを応援するから
と空に約束をして帰途に着いたのです。
波乱に満ちた帰り道はまた次回…。
さすがに12時前とあって流れはとてもスムーズで、東海北陸道をただひたすら大阪方面へと向かっていく。
途中、SAで休憩しながら(この休憩がまた…食べ物とお土産売り場に体が動いて行ってしまうんだけど)、運転も主人と交代しながら、目がさめると既に京都に!夜が明けるか明けないかの頃には着いていたようで主人も休憩。
その後、目が覚めて復活した私が明るくなりかける頃そのまま中国道を通り、播但連絡道路までがんばった!!
その後、復活した主人と交代して一路豊岡市内へ。
家をでで400キロ強、時間は約11時間(休憩入れて)。
頑張ればこれるじゃん!って、けっこ〜強気なことを言いながらターミナルビルを上り、ロックさんが親しんだ但馬空港を見渡した…。
私は涙が出てきて止まらなかった。
ターミナルビルの中はいつもと変わらず、普通の日常で、それが余計に辛かった。
もっと空港を見渡せる場所へとターミナルビルを出て、周りを探しながら高台へあがる公園を見つけ息を切らしながら子どもたちと登る。
白っぽい石が敷き詰められている、きれいな公園だった。
但馬空港を含む一面の景色が見渡せ、空は抜けるように青く、ピッツが見えてくるような気がしてならない空だった。
子どもたちと、ロックさんの話をし、お礼をいって空港が見渡せる場所に花を手向けた。そこには既に何人かの方が見えているようで、花とともにロックさんへのメッセージが添えてあった。
花は…本来なら白い花にすべきだったのかもしれないが、それじゃあまりにも寂しいような気がしてこの花を選んだ。
この公園へはこのときに初めて見つけて行ったのだけど、ロックさんが好きだった場所だということを後から知りました。
『こっちのほうが見晴らしがいいよ』
って、案内されてたのかも…なんて思ったり。
できるなら、実際に飛んでいるところを見たかった。
さすがにここまでは行けないなぁって思ってたところへこうしてくるなんて、頑張ればここまでこれるんだよって教えられたのかなとか都合のいい事を思いながら、でもこれからはいけるじゃないって前向きに考えて…。
帰る前に、家族で空港へ向かって手を合わせ、
いつまでも忘れない
これからもエアロックを応援するから
と空に約束をして帰途に着いたのです。
波乱に満ちた帰り道はまた次回…。
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Posted by くろねとやまこ at 00:15│Comments(2)
│エアロック
この記事へのコメント
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ぱりかりさん、遠くまでお出かけご苦労様でした。
私も行ってみたい場所なので、羨ましいです。
向日葵の花…ロックさんの明るい人柄にぴったりだと思います!
きのう、ついにチームのスケジュールが発表になりましたねー!
事故の時、一番にロックさんの元に駆け付けた、2番機パイロットのサニー君が、ロックさん最後のエアショーとなった野田の関宿滑空場にて7月に飛ぶそうです!
勿論、応援(手伝い?)に行ってきます!
ロックさんのいないチームの活動…きっと当日のショーは、胸が締め付けられる想いを抱きながら、みんな空を見上げるのでしょう。
ロックさんの分まで頑張って!サニー!
そう口にせずにはいられません。
Posted by なな☆ at 2005年06月08日 04:41
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なな☆さん、おはようございます。
見ました、エアロックのHP!PCの前で一人で叫んでしまったら、子ども達と主人が飛んできて、みんなで『やった〜』と。
きついかもしれないですが、関宿へいけたらなぁ・・・と一人で計画を練り始めたところです(計画はいつも私の係ですし)。
子ども達もサニーさん飛んでくれるかなぁ、がんばってほしいなぁと言っています。
ショーの時に涙をこらえて、空を見上げることができるように、抜けるような青空であってほしいと願うばかりです。
ひまわりのこと、そういっていただけてとてもうれしかったです、ありがとうございます!
主人と、今度はあの公園の一番高いところまで行きたいね・・・と再度訪れる計画がどこかに隠れているようです!
Posted by パリカリ at 2005年06月13日 21:21